目次
はじめに
世の中には様々なルールがある。国家には法律が存在し、会社には就業規則、学校には校則がある。暗黙のルールという面倒なものまである。
ルールを守ることは共同体の秩序を守るために不可欠とされ、そこから逸脱した者は制裁を受け、共同体から追放される。
ところが困ったことに、ルールの中には為政者の都合で作られたり、すでに存在の根拠が失われ無用の長物となったものがある。
学校のブラック校則や古臭い家族制度を基にした民法などがそのたぐいだろう。
おかしなルールを前にした時、多くの人は盲目的に、あるいは共同体からの制裁を恐れ、ルールに従うことを選択する。
一方、自分の信念に従い、毅然としてルールにNOを突き付ける者もいる。
「アンティゴネ」は後者の女性だ。彼女は伯父であるクレオン王が定めた命令に背き、信念から兄のポリュネイケスの遺体を埋葬する。しかしその選択は彼女自身の命を奪うだけではなく、一族の破滅への道を開いてしまう。
前置きはこのくらいにして、早速ソポクレスの戯曲「アンティゴネ」のあらすじを見てみよう。
あらすじ
「アンティゴネ」はテバイ王家をテーマにした「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」に続く作品だ。「アンティゴネ」を理解するにはこれらの物語を知っているということが前提となる。
オイディプス王の娘であるアンティゴネには三人の兄弟姉妹がいた。兄のポリュネイケスとエテオクレス、そして妹のイスメネだ。
オイディプス王がテバイを去ったのち、息子のエテオクレスが王位を継ぐ。しかしこれに不服だったポリュネイケスが反乱を起こし、兄弟間の戦争が勃発。二人は相打ちで命を落とすことになる。
その結果テバイの新たな王となったのが、かつてオイディプスの臣下だったクレオンだ。
詳細はこちらの家系図を参考にしていただきたい。
以上の前日譚を踏まえたうえで、ソポクレスの戯曲「アンティゴネ」の話が始まる。
テバイの王位をめぐってポリュネイケスとエテオクレスが戦った後、新たな王となったクレオンはエテオクレスを手厚く埋葬する一方、反乱者のポリュネイケスの遺体を埋葬することを禁じる。もし法を破るものがあったら石打の刑に処すという。
クレオンにとってポリュネイケスもエテオクレスも共に甥にあたる。しかし王位を狙い大軍を率いて国を襲ったポリュネイケスは反逆者であり、決して許すことができない。
一方、その噂を聞きつけたアンティゴネは妹のイスメネに密かに自分の目論見を告げる。
「お前にだけは聞いてもらいたい。ポリュネイケスは私たちのお兄様よ。だからどうしても遺体を埋葬したいの。当然あなたも手伝ってくれるわよね」
イスメネにとってはいい迷惑だ。バレたら二人とも死刑ではないか。
「お姉さま、おやめください!もし法を犯したらどんなにひどい目に会うか考えてみて!」
姉妹は言い争いになるが、アンティゴネの意思は固く、イスメネは不安を感じる。
王宮ではクレオン王が臣下を集め、ポリュネイケスの埋葬を禁じ、命令に背いた者は死罪であると宣言する。
すでにクレオンは違反者を取り締まるため、番人をつけてに遺体を見張らせていた。
ところが、早速その番人が王宮にやってくる。
「王様!大変です。ちょっと目を離した隙に何者かが遺体に砂をかぶせ埋葬したようです!」
随分といい加減な見張り役である。怒ったクレオンは番人に犯人を見つけ、連れてくるよう命じた。
「もし犯人を見つけなければ、死罪だけで済むとは思うなよ!」
そう脅されて殺されるために戻ってくる者はいない。
番人も早速逃げ出す気になっている。
ところが番人は逃げずに、ちゃんと下手人を捕まえて王宮に戻ってきた。
墓場に戻り遺体から土をどけ、不届き者が再び現れるのを見張っていたのだ。意外にも仕事熱心な男である。クレオンの脅しが効いたのだろう。
しかし現行犯逮捕された犯人はクレオンの姪、アンティゴネであった。
驚いたクレオンは、彼女に弁明を求める。
アンティゴネは毅然として答えた。
「法など所詮人間が作ったものにすぎません。そんなものに神の定めた法をしのぐ力はありません」
彼女にとって兄を埋葬することは、神の意に沿うことであり、そのためには死をも厭わぬというのだ。
クレオンとアンティゴネの激しい応酬の後、妹のイスメネが連れてこられる。クレオンは彼女も共犯者と考えていた。
もちろん埋葬はアンティゴネ一人でしたことであり、イスメネに罪はない。しかしイスメネは自分も共に罪を犯したと認め、姉と一緒に死のうとする。
当然アンティゴネはそれを認めず、姉妹は言い争いになる。
「イスメネ。あなたはやってもいないことをやったと言う。味方ぶるのはやめてちょうだい。死ぬのは私一人で十分。あなたは生を選んだのよ」
「お姉さま。そんなに冷たくしないで。私も一緒に死なせて!」
言い争う姉妹を前に呆れるクレオンだが、そんなクレオンにイスメネは訴える。
「クレオン様。あなたはご子息の花嫁の命を奪おうというのでしょうか?」
実はアンティゴネはクレオンの息子ハイモンと婚約していたのだ。
クレオンは「こんな悪女を息子の嫁にするなどまっぴらだ!」と吐き捨て、二人を幽閉してしまう。
妹にとってはとばっちりだが・・・。
やがて王宮にハイモンが訪れ、婚約者を助けようと、父親のクレオンを説得しようする。
「父上。あなたは私の規範となる方です。あなたが導いてくれるなら、結婚もそれに従いましょう」
父親の頑なな性格を知ってか、まずはへりくだった戦法に出た。
それを聞いてクレオンも
「息子よ。その心がけが肝心だ」とご満悦のようだ。更にアンティゴネは悪女であり、ハイモンの嫁には値しないと吐き捨てる。
ハイモンは答える。
「しかし父上も全ての国民の声に耳を傾けているわけではないでしょう。今、民はアンティゴネの行く末を案じております。どうかよき忠告を聞き入れ、考えをお改めください。」
ハイモンは情に訴えるのではなく、民の声を反映してアンティゴネの死刑は不当であると主張したのだ。
しかし、頑固おやじのクレオンには通用しない。自分の息子から説教をされたと思い、怒りまくる。
「若造の分際で、このわしに分別を説くとは!権力者であるわしに民衆の言葉を聞けと言うのか!」
二人の激しい口論が続くが、話は平行線をたどる。
「父上とはもう生きてお会いすることはないでしょう・・・。」
こう言い放ってハイモンは父親の元を去ってしまった。
怒り冷めやらぬクレオンはイスメネの釈放を命ずる一方、アンティゴネを岩の洞窟に閉じ込めるよう命じる。親族を殺せば穢れとなると考え、自然死するように仕向けたのだ。
まあ、石打の刑よりはマシだろう。
アンティゴネは洞窟に向かうため王宮より連れ出される。
彼女は自分の身の不幸を嘆く。
ただ、あれだけ毅然とした態度で死を受け入れていたアンティゴネが、死刑を前にし一転して悲嘆にくれる姿は、少し矛盾しているようにも感じる。現代なら「身から出たサビ。自己責任ですよね」と突っ込まれそうだ。
若い女性が死を前にして嘆き悲しむ姿はドラマを盛り立てるために効果的だと、作者のソポクレスは考えたのだろうか?
「いよいよ死の傍らまで近づいてきた」とおびえるアンティゴネに、クレオンは「”安心しろ、刑は執行しないから・・・”などと慰めるつもりはない」と肩透かしをくらわせる。
性格が悪いぞ!
テイレシアス老人が童子に手を引かれてクレオンのもとに現れる。
彼はテバイの盲目の予言者だ。先立つ物語「オイディプス王」にも登場した。
テレイシアスは野鳥野犬が食い散らかしたポリュネイケスの死肉のせいで、生贄を差し出しても神々が受け付けてくれなくなったと苦言を呈す。
そしてクレオンに過ちを改めるよう訴えた。
しかしクレオンは聞く耳を持たず、テイレシアスが金儲けのために言いがかりをつけていると非難する。
クレオンは人の行動の理由を何でも金であると考える質の男の様だ。
テレイシアスは呆れて、「やがてあなたは息子のクレオンを失うであろう」と、不吉な予言を残し去っいく。
臣下の諫言もあり、さすがにクレオンも不安になったのか、アンティゴネを救出し、ポリュネイケスを埋葬しようと翻意する。
王宮に伝令使が現れる。彼はクレオンの妻エウリデュケに自分が目撃した出来事を告げる。
「奥方様。我々はアンティゴネ様を救出するため、クレオン様のお供をして岩の洞窟に向かいました。しかしそこで目にしたものは、変わり果てたお嬢様とその傍らで泣き叫ぶハイモン様の姿だったのです。」
「若様はお嬢様を助けようと岩の洞窟に入られました。しかしすでにアンティゴネ様は自ら首を吊って亡くなられていたのです。」
「若様はクレオン様の姿を見るや、唾を吐きかけ剣を引き抜きました。クレオン様は身をかわされましたが、今度はその刃を若様ご自身に向け、わき腹に突き刺したのです。」
話を聞き終えたエウリデュケは何も言わずに立ち去ってしまう。
その姿を見た伝令使は彼女を案じ、その後を追う。
そこにハイモンの遺体を抱えたクレオンが現れ、自ら招いた悲劇を嘆く。
しかし彼の苦しみは終りではなかった。
エウリュディケの後を追った伝令使が戻り、こう告げたのだ。
「奥方様が、たった今自ら肝臓を一突きされ、お果てになりました・・」
ハイモンの死を知ったエウリデュケが、絶望のあまり息子の後を追って自害したのだ。
こうしてテバイの王クレオンは、自らの犯した過ちにより、息子だけではなく最愛の妻をも失うこととなる。
感想
「アンティゴネ」の物語は、登場人物の激しく対立する会話で進行する。そのため人物の個性や考えが浮き彫りとなり、読み手に共感や反発を引き起こす。
例えばプロローグのアンティゴネとイスメネの会話を見てみよう。
アンティゴネは、権力者の命令に背いてまでも自分の意思を貫こうとする。そのためには死をも厭わない高貴さと強さがある。
一方イスメネは「女は男と戦うようには生まれついていない」と決めつけ、自らの思いを隠し、権力に従おうとする。
多くの人が思い当たることがあるだろう。なんだかよく分からないルール。ルールとは言えないまでも、そうしなければならないような同調圧力。こんなものに対峙したとき、多くの人は無言の力に屈服してしまう。抵抗して面倒なやつだと思われては、ひどい仕打ちを受けるやもしれぬ。長いものには巻かれろだ。
アンティゴネの信念を曲げない強い姿よりも、むしろイスメネの弱弱しい事なかれ主義の姿に自分を重ねて共感してしまうのではないだろうか。
アンティゴネとクレオンの対決を見てみよう。
アンティゴネにとって兄のポリュネイケスの埋葬は、神の法を守ることに等しい。たとえ過ちを犯した人間であっても、血のつながった肉親だ。彼の遺体を丁重に弔うことは、人間の感情の発露であり、自然の法に則ったものと捉えている。
彼女にとって自然の法は、人間の浅知恵で繕った法よりも尊い。
一方、一国の王であるクレオンにとってポリュネイケスは反逆者であり、国を守ろうとしたエテオクレスと同様の弔いをするわけにはいかない。
法は時として我々の自然な感情と相いれないことがある。凶悪犯罪が未成年というだけで罪が軽くなるのは、人の感情として納得がいかない。
逆に大したルール違反ではないのに大きな制裁を受けることもある。
感情に合わない法なら変えればよいのだが、事はそう簡単ではない。人の感じ方は千差万別だからだ。
話しが脱線するが、先日、国会でLGBT法案が通った。「LGBTに対する差別をなくしましょう」と言う程度の極めて当たり前の内容だと思うのだが、これに反対する議員が右からも左からも出た。これはいったいどういうことか?
リベラル派の議員が修正案に反対するのはある程度理解できる。自民党右派に配慮した結果、当初案に比べて言葉のトーンが弱まってしまったからだ。
一方保守派の反対する理由は随分雑だと感じた。彼らの言い分によるとLGBT法案ができると男性が女子トイレや女風呂に入るようになり、性犯罪を助長するというのだ。そもそも法案にそんな内容は盛り込まれていない。ほとんどデマのような話しだ。これは犯罪の話であり、LGBTの生きにくさを解決しようという本来の趣旨とは異なる次元の話ではないか?
反対派の議員の中には、踏み絵を踏まされるのが嫌で、腹痛でトイレに隠れるといった荒業をやってのけた者もいた。次回の選挙では、有権者はこの人のことを覚えておいた方がよい。
反対派の頭には一部の支援者のことが念頭にあったのかもしれないが、やはり彼ら自身の自然な感情から出た行動だろう。つまり本音は「やっぱりLGBTは気持ち悪いよね。」といった意識があり、これが彼らにとっては偽らざる「自然」な感情なのだろう。こうした感覚は今日では時代錯誤な「差別」と捉えられるのだが、彼らはにとっては「自然」であるがため、決して差別ではないと言うことになる。(あるいはこれが「不当な差別」はダメだが「正当な差別」なら許されるということだろうか?)
一方LGBTの人たちにとっては、同姓を愛することが「自然」である。「自然」と「自然」の対立なので、結局は多数派が少数派に勝ってしまう。これが今までの日本とその他大勢の発展途上国の姿だろう。
しかし我々の国は(一応)すべての国民の人権と平等を謡っている。であるならば、少数派にとって生きにくい社会であってよいはずはない。
こうした状況を解決するために各々の「自然」は上位の「理念」によって抑止される必要がある。つまりLGBTが気に食わない人でも、「全ての人に人権があり平等」なのだから、こうした「理念」の実現のために我慢しなければならないということになる。
さて「アンティゴネ」に戻るが、クレオンがポリュネイケスの埋葬を禁じたことは「理念」による抑止とは言えないだろう。彼の言葉の端々に権力者として、年長者として、父として、男としての傲慢さが垣間見える。ここにアンティゴネの「兄を埋葬したい」との思いは自然の法として正当性を帯び、読み手の共感を得ることになる。
ハイモンはアンティゴネを救うため、父親のクレオンの説得を試みる。
それは婚約者を助けたいという情に訴えるものではなく、アンティゴネに同情する民の声に耳を傾けるように諫言する分別のある言葉だ。
臣下たちもハイモンに共感し、クレモンに翻意を促す。
ところがクレモンは年長者に対し若造が説教をしたとし、更になぜ権力者が民意を聞かなければならないのかと怒りを爆発させる。
ハイモンと同様、テイレシアスもクレオン王を諫める役割を担うが、ハイモンが若者であり、民意を理由に下から進言するのに対し、テイレシアスは予言者であり、知恵者として上から進言するといった違いがある。
しかしクレオンはテイレシアスの言葉も退ける。若者の言葉だけではなく智慧ある者の言葉も聞こうとしないのだ。
もはや誰の言葉も通じないほど、権力の座に酔いしれ傲慢になっているのだろう。
こういった人物は会社ではたくさん生息していそうだ。特に創業者社長なら周りに自分を諫める者もいないだろう。ついつい傲慢になってしまう・・・と言うより、傲慢でなければ社長になどなれないと考えるべきか?
そういえば先日ある上場企業の名物社長が、そのワンマンぶりを暴いた週刊誌とリークした元社員を相手に訴えるという出来事があった。この企業は株主総会でも経営陣が、質問した株主を非難するといった珍事があったようだ。
実態は分からないが、端から見ていると成功を収めた経営者が長期間権力の座にいることによって、誰の言うことも聞かず、裸の王様になっていくという、いかにもありそうな話のような気がする。
力を持つ人間が分別を持ち、謙虚に人の意見を聞くというのは、やはり難しいことなのだろう。
幸運なことに自分はクレオンと違って何の力も持っていない。権力をふるう相手どころか、妻も子供もいないので先立たれる心配もない。
自らの権力と驕りにより悲劇を迎えるという心配はなさそうだ。とりあえずは「非力で良かった・・・」と考えておくべきか。