目次
はじめに
古代ギリシャの詩人ソポクレスはテバイの王オイディプスをテーマに、三つの戯曲「オイディプス王」「コロノスのオイディプス」「アンティゴネ」を作成した。
「オイディプス王」では、オイディプスが神の定めにより父親殺しと近親相姦の罪を背負ってしまう悲劇が描かれる。
<詳細については”ソポクレス「オイディプス王」のあらすじと感想”を参照していただきたい>
「コロノスのオイディプス」は「オイディプス王」の続編となる物語だ。
テバイを追放されたオイディプスが放浪の末、コロノスにたどり着くのだが,その地で起こるエピソードが描かれる。
さっそくあらすじを見てみよう。
あらすじ
盲目となりテバイを追放となったオイディプスは娘のアンティゴネに手を取られ、放浪の旅を続けていた。
ある日、たどり着いた土地の名を通りすがりの男に尋ねると、男はこう答えた。
「お前さん、そこは禁制の場所だよ。すぐに立ち去ってくれないか?」
そこはコロノスにある女神エウメニデスの神域だった。男は神域から出ていくようにと忠告したのだ。
ところがオイディプスは「俺はこの座を立ち去らないつもりだ。俺はこの土地に利益をもたらす者だ」と答え、出ていこうとしない。
オイディプスがこの土地にこだわったのには理由があった。
かつてオイディプスは神託を得ていた。それは「お前は長い年月の後に、生涯を終えるべき場所を見つけるだろう。そしてお前を受け入れた者には恵みを、追い払った者には破滅をもたらす。ゼウスの稲妻がその徴となるだろう」というものだった。
彼はコロノスこそが自分が最後を迎える土地であると気づき、そこに埋葬されることを望んだのだ。
オイディプスは埋葬の許しを請うため、通りすがりの男に「王をここに連れてきてほしい」と頼む。
オイディプスと娘のアンティゴネが王を待っていると、やがて話を聞きつけた土地の老人たちが現れる。(劇では老人たちは「コロス」(合唱)で表現される)
乞食同然の姿をしたオイディプスを見て、老人たちは素性を尋ねるが、彼はなかなか答えようとしない。
「たのむ!俺の素性を聞かないでくれ。これ以上は詮索しないでくれ・・」
そう言われたらますます知りたくなるのが人間の性だ。ましてこんな怪しいやつを町に置いておくわけにはいかない。
コロノスの老人から厳しく追及され、オイディプスはとうとう自分の正体を告白してしまう。
「俺の名はオイディプスだ・・・」
その名を聞き老人たちは驚く。彼の身に起こった不幸な出来事は老人たちの耳にも届いていたのだ。
「出ていけ!立ち去れ!この地から!」
老人たちは思いがけないオイディプスの到来に恐れを抱き、彼を追い払おうとした。
ところがオイディプスはかつて起こった出来事に関し、自分には落ち度がなかったと身の潔白を主張する。
オイディプスの激しい抗議を聞き、老人たちも哀れに思ったのか、彼を受け入れるべきか王の判断に任せることにした。
そこにオイディプスのもう一人の娘、イスメネがやってきた。
イスメネはテバイの町にとどまり、神託を受けてはオイディプスにその内容を告げていたのだ。
ところが今回の話は、テバイに残った二人の兄弟の争いのことであった。
オイディプスにはアンティゴネ、イスメネの娘のほか、ポリュネイケス、エテオクレスの息子たちがいた。
イスメネが言うには、エテオクレスが兄のポリュネイケスから王座を奪い、兄を国から追い出してしまったという。
アルゴスに逃れたポリュネイケスは、そこで新たな勢力を得て、王座を奪い返すために、戦争の準備をはじめているというのだ。
更にイスメネは新たな神託を告げる。それは「オイディプスは死後に埋葬された土地の守護神となる」というものだった。
そして、この神託を知った二人の息子や宰相のクレオンは、手のひらを返したようにオイディプスを連れ戻し、彼を味方につけようとしているという。
イスメネの話を聞き終わると、オイディプスは怒り狂う。
「俺が国を追われるとき、あいつらは俺を止めようとしなかった!」
「しかし神託を知るや、俺を連れ戻そうとする。あいつらの味方など絶対にするものか!」
オイディプスは自らテバイを去るとを決めたはずだが、今になって「あの時俺を止めなかった!」とは、ずいぶんと身勝手な理屈ではある。
ねたむ。
もう少し理性的に考えれば、オイディプスの行動も少しは異なったものになったと思うが・・・・。
やがてコロノスの王テセウスが登場し、オイディプスにこの地を訪れた目的を尋ねる。
オイディプスは答える。
「俺はこの身を与えるためにやってきた。俺はあなたに大きな利益をもたらす。その中身は今は教えることができないが、俺が死んで埋葬された後にわかるだろう」
死んでからでないと利益の中身がわからないとは、随分もったいぶった話だ。
更に続ける。
「息子たちが俺を引き取りたいと言っているが、俺は国に戻る気はない。この地に埋葬されることを望んでいる。そうすれば、コロノスとテバイが戦っても、俺の死体がコロノスを守ることになるだろう」
これを聞き、テセウスはオイディプスをこの土地に住まわせ、息子たちに連れ去られることがないよう尽力すると誓う。
そこにクレオンが現れる。彼はかつてオイディプスをテバイから追放した男だ。
クレオンは神託を知り、オイディプスを自分の味方に付けようと連れ戻しにやってきた。
しかしオイディプスはクレオンの申し出を拒絶し、彼に罵詈雑言を浴びせる。
「俺が国を追われるとき、お前は俺を止めようとしなかった・・」とまた例の話を繰り返す。かなり執念深い老人だ。
最初は丁寧な言葉で説得しようとしたクレオンだったが、オイディプスの激しい言葉に逆切れし、従者たちにアンティゴネを連れ去らせてしまう。
もう一人の娘イスメネもすでに拉致されてしまったようだ。まるで人さらいだ。
更にクレオンはオイディプスまでも無理やり連れて行こうとする。
それを見ていたコロノスの老人たちはオイディプスを守ろうと抵抗し大騒ぎになるが、そこにテセウス王が現れオイディプスを助ける。
更にテセウスは、拉致された二人の娘を連れ戻し、オイディプスの元へ送り届けた。テセウスは大活躍だ。
ところがテセウスはその道中で、ある人物がオイディプスに会いたがっているという噂を耳にしていた。しかもオイディプスの身内の者らしい。
その話を聞きオイディプスは息子が自分に会いに来たのだと悟る。
彼は不義理な息子との再会を拒絶するが、アンティゴネの懇願もあり、しぶしぶ会うこととなった。
やがてポリュネイケスが涙を流しながら現れる。彼はこう言って嘆いた。
「エテオクレスは弟の分際で、私から王位を奪い国から追い出したのです。父上!どうか私に力をお貸しください!」
ポリュネイケスは国を追われた後アルゴスに逃れ、弟から王位を奪い返すため軍隊を組織していた。そしてオイディプスを味方につけるためコロノスまでやってきたのだ。
もちろん、ポリュネイケスは神託の内容を知っている。父親の死体を自分の土地に埋葬できれば勝利できると算段してのことだ。
ところがオイディプスは怒って息子の依頼を拒絶する。
「お前は自分が王座にいた時に父親を追放したではないか!立ち去れ!お前たち兄弟は戦って死ぬことになるだろう。これが俺の呪いだ!」
オイディプスの怒りは収まるところを知らず、呪いまでかける始末。
妹のアンティゴネはポリュネイケスにテバイを攻撃しないよう懇願する。このままでは戦争がはじまり、父親の呪いにより二人の兄弟を死なせることになる。
しかし、ポリュネイケスの意思は固く、そのまま立ち去ってしまった。
話が脱線するが、この兄弟の戦いはアイスキュロスの作品「テバイ攻めの七将」にて描かれる。こちらの主人公は弟のエテオクレスで、ポリュネイケスは悪役だ。
この後、父親の呪いの通り、二人は互いに戦い命を落とすことになるのだが。
天空にすさまじい雷が鳴り響き、稲妻が走る。オイディプスは神託を思い出し、自分の死期が近いことを悟る。
彼は娘たちにテセウス王を呼びに行かせる。
テセウスはこれで四回目の登場となる。出たり入ったりと忙しいが、これは当時のギリシャ悲劇は一人で何役も兼ねていたからだ。見ている方が混乱しないのかと心配になるが、当時は仮面をつけて演じていたらしい。
オイディプスはテセウス王に言う。
「俺があなたに恩返しをする時がきたようだ。雷鳴と稲妻がその徴だ」
「俺が世を去るべきところを案内しよう。しかしその場所は誰にも口外してはいけない」
オイディプスはアンティゴネ、イスメネ、テセウス王と従者たちをその土地へと導く。
オイディプスは娘たちに言う。
「お前たちの父親がこの世を去る時がきた。お前たちは俺を養うためにもう苦労することはないだろう・・」
三人は抱き合いむせび泣くが、嘆き終わると沈黙が訪れる。
すると突然、神がオイディプスを呼ぶ声が聞こえる。
「オイディプスよ!何をためらっているのだ!お前はもう遅れているぞ!」何やら気の短い神様のようだ。
オイディプスはテセウス王を呼び、彼だけを留まらせ、残りの者たちを立ち去らせた。
二人の娘とテセウスの従者たちはその場から離れるが、しばらくして振り返ると、すでにオイディプスの姿は消えていた。
テセウス王だけが残され、目の前で起こった奇跡に畏怖しながら、神に祈りをささげていたのだ。
どのようにしてオイディプスが死んだのか、テセウス王以外に知る者はいなかった。
二人の姉妹はオイディプスを失った悲しみに打ちひしがれる。
しばらくして、アンティゴネは意を決したようにテセウス王に自分をテバイに連れていくよう懇願する。
自分が兄たちの戦いを止めに行こうと考えたのだ。
感想
旧約聖書の「ヨブ記」では信仰心の厚いヨブが神から様々な試練を与えられる。彼は家族を失い、財産を失い、皮膚病を患う。
結局ヨブは神の圧倒的な偉大さを見せつけられ、ただひれ伏すことによって許されるのだが、何故こんな試練を与えられたのか、その理由がヨブに明かされることはない。
ヨブの視点からは神の意図は全く見えないため、彼はただ恐れるしかないのだ。
ただ「神の意図」といっても、それは神と悪魔の賭け事にすぎないのだが・・。
オイディプス王にまつわる一連の物語もヨブ記と構造は似ている。オイディプスの意思とはかかわりなく、神の見えざる意図にただ翻弄されるしかない。どうあがいたところで運命はすでに決められているのだ。
ただヨブ記と異なり、オイディプスの物語では私たち観客側にも神の意図は伏せられている。
「コロノスのオイディプス」では、年老いたオイディプスが自分の終の棲家を見つけ、更にその土地の守護神となることが約束されるのだが、何故そうなったのかという理由はオイディプスにも観客にも明かされることがない。
このように古代に生きた人々にとって世界は人間の意思とはかかわりなく理不尽で、人間はただ神の掌の上で翻弄されるしかない哀れな存在だったはずだ。
翻って現代に暮らす私たちの生活はどうだろうか?
科学の発達によって様々な自然現象が解明され、医学の発達により不治の病は治療可能なものとなった。人権思想によって暴力に晒される危険も減少したはずだ。古代に生きた人々と比べれば、もはや世界はただ恐れるだけのものではない。
では少しバカげた空想をしてみよう。理不尽なことをする神がいなくなり、今まで隠されていた秘密が明らかになった世界だ。
全ての現象の原因が明らかになり、複雑にからみあった因果関係が白日の下に晒される。
そうすれば、人間は世界を明確に見ることができ、常に合理的に判断し、正しい行動をするようになるだろうか?
もしそうだとすれば、この明るくなった世界で、オイディプスにはどのような物語が待ち受けるだろうか?
人間が神の位置に立ち、世界を俯瞰し合理的な行動をとるようになれば、あらゆる人間の選択肢は一つになる。全ての人間は同じように考え、同じ行動をする。多様性は失われ、個性が消滅した社会だ。
個性の消滅した社会はユートピアだ。なぜなら私たちは自分とは異なった人間が嫌いだからだ。
このユートピアでは全てが人間の理性に基づいてコントロールされる。映画「マイノリティーレポート」が描いたように犯罪は未然に防がれ、自動運転で交通事故も起こらない。死ですらもが予測可能なものになる。人間は何事に対しても恐れる必要はなくなる。
ここにはオイディプスはもういない。太郎もジョンもピエールもいない。人間は代替可能な蟻や蜂のような存在になる。不測の事態が起こることがなく、不安も悩みもない世界・・・。
こんな世界では、もはやどんな物語も成り立たないであろう。
何故なら物語が成り立つには、人間が他者とは異なる考えをし、異なる行動をするということが条件となるからだ。
もし合理的な判断が同一の思考や行動を生み出すのなら、逆に多様性や個性は人間の非合理的な側面から生まれてくると言える。
「個性とは正しさからの逸脱で、愚かさを母としている」と言ったら言い過ぎだろうか?
試しに隣人のAさんやBさんがどんな人物か思い浮かべてみよう。
「Aさんは大した仕事をしていないが、上司へのアピールだけは一流だ・・」
「Bさんは後輩には随分と偉そうな態度を取る。アホのくせに・・」
欠点ばかりが思い浮かぶ。(私の性格に問題があるのかもしれないが、大方誰もが似たようなものだろう)
神の不条理がなくなった世界は本当にユートピアだろうか?すべてが正しい認識のもと、誰も間違えない世界。事件など起こりようもない世界。考えただけでも退屈しそうだ。きっと天国は退屈なところに違いない。
しかし、幸か不幸かこんな世界が訪れることは無いだろう。
私たちはこれからも愚かであり続けるからだ。
人間の目には霞がかかり、はっきりと物を見ることができない。認識があいまいである限り私たちは常に間違え、世界は不条理で訳の分からないものとして現れる。
だから神はこれからも存在するし、人間は不条理に罰せら続け、時には何故か救済される。
これが神の気まぐれに見えたとしても、それは人間が永遠に神の俯瞰の位置に立てないからだ。
それゆえオイディプスも太郎もジョンもピエールも、今まで同様これからも間違え続けてくれる。そのおかげで物語の題材には事欠かず、私たちは退屈しなくてすむのだ。