ゲーテ「ファウスト」第一部のあらすじを解説

気が付いたら、いつのまにかおじさんになっていた。過ぎ去った日々を振り返り、そこはかとなく心に浮かぶ後悔の念。それはおおよそこんなことではないだろうか。

「出世もできず金もない。成功とはほど遠い人生だった」

「美女との楽しい思い出。そんなものは自分にはなかった 」

つまり中年男性の願望は「権力」と「女」の二点に集約できる。身もふたもないが人の考えることにそれほど大差はあるまい。

しかし人生の勝敗はとっくについている。もう奇跡の大逆転は無いのである。

そこに突然悪魔が現れ「お前の望みを全てかなえてあげよう。しかし約束を果たした暁にはお前の魂をいただくぞ!」とささやいたら?

ゲーテの小説「ファウスト」は、主人公と悪魔がこんな契約を交わし、人生のありとあらゆる欲望を体験するといった物語だ。

「ファウスト」の名前は知っていても、実際に読んだことのある人は多くはないだろう。確かに誰でも気楽に読めるといった話ではない。小説は一部と二部に分かれており、特に二部が難解だ。現代に生きる日本人には理解不可能な場面が多く、途中睡魔との闘いになるかもしれない。

でも大丈夫。誰も理解できないから(たぶん・・)。この難解さが多くの芸術家や作家にインスピレーションを与え、長く読み継がれてきたにちがいない。 

前置きはこのくらいにして、小説「ファウスト」第一部のあらすじをご紹介しよう。

あらすじ

神様とギャンブルをする悪魔 

天上界で悪魔のメフィストフェレス(以下メフィスト)と神様が話をしている。

「いや~、人間って本当にしょうがない生き物ですよね。」と言うメフィストに対し、「いやいや人間も捨てたものではないぞ。ファウストという男を知っておるか?なかなかの人物だわい。善い人間は暗い衝動にかられても正道から外れることはないのじゃ!」とのたまう神様。

メフィストは「あっしならファウストを悪の世界に引きずり込むことができまっせ」と豪語し、神様と賭けをする。

こんなやり取りが冒頭で展開されるが、これは旧約聖書の「ヨブ記」のパロディだ。ヨブの信仰心を試そうと神様と悪魔が賭けし、様々な試練を与える。ヨブもファウストも天井界の娯楽に付き合わされ、たまったものではないだろう。理不尽な世の中を鑑みるに、神ほど残酷なものはないのかもしれない。

書を捨て旅に出よう!

ファウストは哲学、法学、医学、神学を究めた学者だが、「こんなに勉強したのに唯一わかったことは、人間は何も知ることができないということだ。わしの人生は無駄だった・・」と悲嘆に暮れているおっさんだ。よっぽど楽しみのない人生だったのだろう。

悲嘆のあまり自殺を図ろうとするが、朝の訪れとともに鳴り響く教会の鐘の音を聞き、かろうじて自殺を思いとどまる。ちなみに私の家の近所にはお寺があり、朝と夕方の6時に鐘が鳴る。死にたくなったらお寺の鐘を聴くことにしよう。

さて復活祭の日、ファウストは弟子のワーグネルと町に出かける。二人の会話はファウストの思想が垣間見え興味深い。

ワーグネルは「書物の知識だけで十分ですよ」と、理性や知識の小さな世界に満足するのに対し、ファウストは「翼をもって世界中を見てみたい」と考え、狭い学問の世界に留まらず、自然や社会にまで好奇心を広げようとしている。ここにファウストの世界をあまねく理解したいという強い意思や欲望を感じることができる。

そんな中、二人の前に一匹の野良犬が現れる。二人は愛玩用に犬を連れ帰ることにするのだが、実はこの犬は悪魔メフィストの変身だったのだ。

犬に変身したメフィストはうまくファウストの家に入り込むと正体を現す。そして ファウストに奇妙な提案をする。

「お前さんを孤独な地獄から救ってあげよう。さあ、楽しい世界に繰り出そう!あんたが望むなら俺が召使になって何でも望みをかなえよう。その代わりあんたがあの世に行ったら、俺の召使になってもうよ。」

これは人生に倦んでいたファウストにとって願ってもない話だ。彼はもし「時よ止まれ。お前は実に美しい」と自分に言わせることができたなら、その時は魂をメフィストにあげようと約束してしまう。つまり「この時間が永遠に止まってほしい」と感じるほどの素晴らしい体験をさせてくれたら、すぐにでも死んで、あの世でメフィストの召使になると契約してしまったのだ。深く学問を収めた割には、軽はずみでものを言うおじさんだ。

こうしてファウストとメフィストは人間が味わうことができる、あらゆる喜び、そしてあらゆる苦しみを体験するため、長い旅に繰り出すこととなる。

旅の始めに、とりあえず居酒屋で乾杯! 

 ますメフィストがファウストを連れて行ったのはライプツィヒのアウエルバッハという酒場だ。この酒場はゲーテが実際に通った場所で、今もアウエルバッハス・ケーラーという名で営業している。森鴎外も訪ねたことがあるそうだが、私も昔訪れたことがある。「地球の歩き方」にも掲載されている有名なレストランだ。

メフィストは酔っぱらった学生たちに特上のワインをふるまうが、これがインチキ魔術とわかり、怒った学生たちと乱闘騒ぎになってしまう。

「もうちょっとましな体験をさせろや!」とファウスト先生もご立腹だ。

蛇足ながらこの場面でメフィストが歌う詩を基に作曲されたのが、ムソルグスキーの有名な「蚤の歌」である。

若返ってマルガレーテと恋に落ちる

次にメフィストが連れて行ったのは魔女の厨だ(くりや=台所)。ファウストは魔女が作った若返りの薬を飲み、青年の姿に戻る。体も心も若返りやる気満々になったことだろう。

ファウストは道端でたまたま通りかかったマルガレーテ(通称グレートヒェン)に一目ぼれする。彼女の気を引こうと家に忍び込み宝石を置いてくる。この場面でマルガレーテが歌う詩が「トゥーレの王」で、シューベルトやグノーがこの詩を基に作曲している。王が亡くなった妃の黄金の盃を形見としてるが、その王もやがて命が尽きるという悲しい詩だ。

しかしファウストのプレゼント作戦は失敗。誰のものかも知れないプレゼントは、無情にも教会に寄進されてしまう。

結局メフィストのお膳立てで、近所に住むマルテおばさんに近づき、マルガレーテと逢瀬を重ねることに成功する。

マルガレーテが糸車を回しながら苦しい恋の胸の内を歌う場面があるが、後にこの詩を元に作曲されたのがシューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」である。

マルガレーテに夢中なファウストの頭の中はエロい妄想で一杯となる。何せ肉体が若返っている。こうなると邪魔になるのがマルガレーテと一緒に暮らす母親だ。ファウストはマルガレーテをそそのかし、眠り薬を母親に飲ませる。

しかし、こんな楽しいことは長く続かない。二人の関係は町中のうわさになり、これを知ったマルガレーテの兄ヴァレンティンは怒り心頭。町で見かけたファウストとメフィストに決闘を挑むが、悪魔相手に勝てるわけもなく、あっけなく刺されてしまう。

マルガレーテは瀕死のヴァレンティンを見つけるが、ヴァレンティンは「この売女め!」とさんざん妹を罵りながら死んでいく。

マルガレーテの悲劇はこれでは終わらない。使った睡眠薬がもとで、母親も死なせてしまう。使用上の注意を読まなかったのだろうか?さらにマルガレーテのお腹にはファウストの子が・・・。この時代に未婚の母は許されるはずもなく、踏んだり蹴ったりのマルガレーテ。絶望の中、彼女は一人教会で祈りを捧げるのだった。

魔女フェス「ワルプルギスの夜」へようこそ!

ファレロ「サバトに赴く魔女たち」 こんな魔女フェスなら行ってみたい?

そんなマルガレーテの気持ちもつゆ知らず、ファウストはメフィストに誘われ「ワルプルギスの夜」で乱痴気騒ぎに興じる。

ワルプルギスの夜というのは4月30日から5月1日の夜にドイツのブロッケン山に魔女が集まるお祭りのことだ。つまり魔女フェス!ちなみにブロッケン山は「ブロッケン現象」の語源となった山で、霧の多いところらしい。いかにも魔女が住んでいそうな所なのだろう。

このワルプルギスの描写は隠喩だらけで私のような普通の人にはよくわからん話だ。しかし頑張って簡単にまとめておく。

だいたいこんな話だ。

ファウストはメフィストに連れられハールツ山を訪れる。

峠に差し掛かると山の谷あいに何と黄金が輝いている!メフィスト曰く「これは黄金の神様が今日の祝宴のために自分の宮殿を光らせているからで、これを見れるのはラッキー」なのだとか。

 やがて激しい風が吹きつけ空から魔女たちが現れ、次から次へと地上に降り立つ。

 ファイストとメフィストは魔女たちでごった返す場所から何とか抜けだし、宴を見て回る。

まず最初にメフィストは消えそうな火を囲む老人たちに話しかける。「どんちゃん騒ぎに加わらず、こんな隅っこで何をしてるんです?」

老人たちは将軍、大臣、成り上がり者、著述家で旧世代に属する人のようだ。彼らは「民衆は若い連中ばかりちやほやする」「昔はよかった・・・」と愚痴を言い続ける。

次に古道具屋の魔女が何やら道具を売りつけてるのを目撃する。その道具は過去に人間に禍をもたらしてきた物だとか。メフィストは「過去の話をしても仕方がない。我々の気を引くのは新奇なものだけ」と答える。

次に二人は老婆と若い女を見つけ、ファウストは若い女と、メフィストは老女と踊りだす。

遠くには美しい女性が一人でいるのが見える。ファウストには彼女がマルガレーテに思えてしかたがないのだが、なぜか彼女の首には赤い紐が一本巻き付いる。

 メフィストは「あれは幻ですよ。そんなことより芝居でも見に行きましょう!」と二人は「ワルプルギスの夜の夢」の鑑賞に興じる。(シェイクスピア「夏の夜の夢」のパロディ)

マルガレーテとの悲しい別れ

ところが、赤い紐の女はやはりマルガレーテの幻影だったのだ。彼女はファウストとの間に生まれた赤ん坊を殺した咎で、今は牢獄に捕らわれの身となっている。首の赤い線は斬首に処されることの暗示だ。

マルガレーテを助けるため、メフィストの案内で何とか牢屋にたどり着いたファウストだが、マルガレーテはすでに正気を失っており、どうしても牢屋を出ようとしない。

ファウストは彼女を助け出すことを諦め、失意の元メフィストと共に姿を消す。マルガレーテの「ハインリッヒ、ハインリッヒ」と呼ぶ声を残しながら。

 第一部はだいたいこんな話だ。

最愛のマルガレーテを失ったファウストはどうなったのか?話は第二部に続く。

感想:人生100年時代をファウストのように生きれるか?

ファウストの影響を受けた訳ではないが、私は50過ぎで会社を早々と辞めてしまった。いわゆる流行りの「FIRE」というやつだ。今は本を読んだり絵を描いたりして暮らす、自称「高等遊民」である。

会社を辞めた理由はあまたあるが、一つは「今までとは異なる生き方をしたくなった」からだ。・・と言えば多少聞こえが良いかもしれぬが、端的に言えば「会社が嫌になった」のだ。

私はそこそこ大きな会社で働いていた。この手の会社ではサラリーマンはどの部署に配属され、誰が上司かでほぼ命運が決まってくる。ミッション自体がインポッシブルだったり、上司がアホだったりすると、どんなに頑張ったところで報われない。自分の意思とは関係なく、大海原に翻弄される小舟のようなものだ。そして自分はツキに見放されていた(と思っている)。

また近頃「働かないおじさん問題」を耳にすることが多くなった。自分も「働かないおじさんはクビにしろや!」と思ったものだが、よくよく考えてみると自分がおじさんになっていた。

どこの会社も似たようなものだと思うが、中高年が多く若年層が少ない、いびつな人口構成をしている。適正な給料の配分を理由に、ずいぶんと収入が減らされてしまった。人事評価に対しても大いに不満がある。もう戦う意欲はない。

会社人生が嫌になった時「ファウスト」に出会った。

「そうだ!俺もファウストになろう!会社を辞めて自分の欲望のままに生きよう!」と思った訳ではないが、残された時間を悔いなく使いたいという願望が日増しに強くなった。

得てして日本人は学校にて立派な家畜となるべく教育されているため、惰性で生きることが得意だ。経済成長率が低いのも、選挙で毎回自民党が勝つのも、日本国民に染みついた惰性の習性がなせる業だ。当然サラリーマンも定年が訪れるまで惰性で働く。定年は我々凡庸な人間にとって勲章なのだ。

しかし今や人生100年時代だという。そして技術の進展や価値観の多様化により様々な生き方が可能となった。幸い私は独り身なので、養う家族が無い。一人分の生活費くらい何とかなるであろうという楽観的観測のもと、思い切って会社を辞めることにした。今ほど独身でよかったと思うことはない。

さて、ブログの冒頭で中年の二大願望は「権力」と「女」であると暴論を吐いてみた。ファウストも若い肉体を手に入れ、マルガレーテやギリシア神話のヘレネと逢瀬を重ねる。また皇帝から広大な土地を手に入れ、自分の理想とする世界を建設しようとする。

自分もできることなら、欲望のままに生き、権力を美女を求めたい。しかし如何せんメフィストフェレスはいないのだ。これでは若返ることができない。仮に若返ったとしても昔もモテなかったのだから、結果は推して知るべしだ。富や社会的成功とも無縁の人生だったではないか。

だとすれば、残された人生をどう生きるべきか?

ファウストのように広大な海を干拓して理想の帝国を作ることは無理でも、文書を書いたり絵を描いたりして自分の小さな世界を作ることは可能だろう。これで良い。これで少しは気も紛れるであろう。

ほとんどファウストとは関係のない話になってしまった。この辺でやめておく。