ゲーテ「ファウスト」第二部のあらすじを解説

はじめに

ゲーテのファウストは二部構成となっている。第一部は1808年に、第二部は1833年に発表された。ゲーテが死んだのは1832年だから死後一年後となる。

1832年と言えば画家のマネや作家のルイス・キャロルが生まれた年でもあり、彼らとゲーテは一瞬ではあるが同時代を生きていた。19世紀とは何と目まぐるしい時代だったのだろうかと驚かされる。

マルガレーテとの恋愛ストーリーが中心だった第一部と比べ、第二部は複雑で難解だ。ゲーテの思想が様々なメタファーを通して展開され、知識と想像力を働かせて読み解く必要がある。

残念ながら私にはそのどちらも欠けているが、あらすじだけでもまとめてみようと思う。

あらすじ

第一幕 バカ殿の無理難題「ギリシャ神話のパレスとヘレネが見たい!」

第一部では魔法の力で若返りを果たし「愛」を求めたファウストだったが、最愛のマルガレーテを失うこととなる。

一転して第二部ではファウストは「権力」を求めようとする。まずは家来のメフィストフェレス(以下メフィスト)が道化に扮し皇帝に取り入るという算段だ。

宮廷では仮面舞踏会が開かれようとしていおり、皇帝は気もそぞろ。どうやら遊ぶことしか頭にないバカ殿のようだ。ところが現実は国の秩序は乱れ、財政は破綻しかかっている。廷臣たちは国家の立て直しについて皇帝に相談を持ち掛けようとする。

そこで宮中に紛れ込んだメフィストは進言する。「地下にはローマ時代に隠された財宝が埋まっております。その財宝は皇帝のものですぞ!」。なかなかのグットアイデアだ。でもどうやって宝を掘り当てるのか?それは後のお楽しみ。

さて豪華な仮装舞踏会が始まる。富の神「プルートス」に仮装しているのはファウストだ。四頭の竜に引かれた豪華な車で派手に登場する。彼が手にする箱を開くと、中は何と黄金が煮えたぎっている

そこに森の精やら土の精やらに囲まれ「パン」の大神に仮装した皇帝が現れる。皇帝がファウストの箱の中を覗き込むと、煮えたぎった黄金が飛び移り皇帝は炎に包まれる。周りの人々も全員が火に包まれて焼け死んでしまう・・・。

ところが、これはすべてメフィストの魔法による演出だったのだ。ド派手な仮面舞踏会に皇帝は大喜び。

さらに宮中に吉報がもたらされる。国が発行した紙幣で国中が潤い、国民は大喜びだという。実は昨夜の舞踏会の中、皇帝はいつの間にやら「地下の埋もれた財宝を担保に紙幣を発行する」という書面にサインをさせられていたのだ。つまり兌換紙幣だが、本当に財宝が埋まっているかは確証がない。いずれは破綻する気がするが、そこは結果オーライ。紙幣を擦りまくったおかげで、国民は羽振りが良くなり皇帝もご満足の様子だ。

財政を立て直し皇帝の寵愛を得ることに成功したファウストだが、気をよくした皇帝から更なる難題を持ち掛けられる。「パリスとヘレネが見たい!」と言うのだ。パリスとヘレネはギリシャ神話上の人物。皇帝はアホなのか?

しかもキリスト教世界の悪魔であるメフィストにとって、ギリシャ神話の世界は門外漢だ。悪魔でも手出しはできない。そこでメフィストはファウストに自力で「母の国」にある「鼎(かなえ)」を奪ってくるよう進言する。どうやらその鼎があればパリスとヘレネを呼び出すことができるらしい。

鼎を持ち出すことに成功したファウストは、さっそく皇帝や紳士淑女を前に「パリスとヘレネ」を披露する。鼎から煙がで出て二人の姿を映し出すといった斬新な趣向だ。紳士淑女は口々にパリスとヘレネの容姿を称賛したり、ケチをつける。この場面はなかなか笑える。

ところが興行主のファウストは自分の仕事そっちのけでヘレネに一目ぼれしてしまう。マルガレーテの件もそうだが相当な女好きと見える。思い余ってヘレネに手を触れようとするが、幻影は爆発しファウストは気を失う。

メフィストもやれやれと呆れ顔だ。

パリスとヘレネの愛 ダヴィッド

第二幕 ヘレネを求めてギリシャ旅行「古代のワルプルギスの夜」へ

場所はファウストの部屋。第一部でファウストとメフィストが出会った場所だ。ファウストは今だ気を失ったままでいる。

世界に飛び立った日から月日は過ぎ去り、かつて助手だったワーグネルは大学者に出世している。

そのワーグネルは今まさに人工人間ホムンクルスを生み出そうとしていた。ホムンクルスは知性はあるが肉体は持たず、フラスコの中で輝く光でしかない。ホムンクルスはファウストの危機的状況を理解し、彼を救おうとヘレネに会わせようと考える。生まれたばかりなのに感心な奴だ。さっそく眠り続けるファウストを連れ、メフィストと共に古代のギリシャへ旅立つ。

ギリシャに着くとようやくファウストは目を覚ます。「あれ、ここはどこ?ヘレナはどこ??」と完全な色ボケぶり。三人はそれぞれ自分の目的のため、別々の道を進むことになる。

1.ファウストの旅

ファウストはヘレネを探す旅に出る。賢者ケイローン(上半身は人間、下半身は馬)にヘレネのもとに連れていくよう頼むが、ケイローンは彼をマントーの所に連れていく。マントーの医学の力で、ファウストの恋煩いを直そうとしたのだ。ところがマントーは無謀なファウストを気に入り、ヘレネのいる冥界へと続く道を教える。きっと冥界の女神ペルセポネーがヘレネを生き返らせてくれるだろうと。

2.メフィストフェレスの旅

メフィストは古代ギリシャの怪物たちを物見遊山するが、やがてポルキュアスに出会う。

ポルキュアスは三人の老婆の姿をしているが、一つ目と一つの歯を共有している。別名グライアイと言われ、ペルセウスの神話にも登場する。

メフィストは3人のうち1人の体を借り、ポルキュアスに変装する。(第三章ではポルキアスに扮したメフィストがヘレネをだまして、ファウストに引き合わせることになる)

3.ホムンクルスの旅

ホムンクルスは自分の肉体を得ようと放浪し、タレスの水成論アナクサゴラスの火成論の論争を聴く。水成論に共感したホムンクルスはタレスと共にネーレウス、次にプローテウスを訪ね「どうしたら自分は肉体を手にすることができるか」を聞き出そうとする。

プローテウスはイルカに変身し、ホムンクルスを乗せ海に出る。海に肉体生成の鍵があるようだ。しかし海の祭に現れた女神ガラテアが乗る貝の車にぶつかり、炎上しながら海の中に消えてしまう。ホムンクルスの話はここで終わる。その後、彼の希望通りに海の中でゆっくりと肉体を生成し、人間として生まれてくることになるのだろうか?

この「古代のワルプルギスの夜」の箇所は「ファウスト」の中でもとりわけ難解だ。様々な寓意がファウストの自然観、歴史観を表している。自分なりの考えを「感想 ゲーテの隠れたメッセージを読み解く面白さ」でまとめてみたので、そちらもご覧いただきたい。

ガラテアの勝利 ラファエロ

第三幕 念願叶ってヘレネと結ばれるも、生まれた息子が問題児だった・・

ここからはヘレネの話になるが、多少ギリシャ神話を理解しておく必要がある。スパルタの女王ヘレネはメネラオスと婚約していたが、トロイアの王子パリスによってトロイアに連れ去られてしまう。怒ったメネラオスがヘレネを連れ戻すために始めた戦争がトロイア戦争だ。

「ファウスト第三幕」はトロイア戦争終了後、ヘレネと侍女がメネラオスの宮殿に連れ戻された場面から始まる。

ヘレネは夫のメネラオスにいけにえの準備をするように指示されていた。

「でも、いったい何をいけにえに捧げるというのだろう?」と訝しんでいると、宮殿の召使ポルキュアスが「いけにえになるのはお妃様と侍女たちです!メネラオス様は残酷なお方ですから。ヒッヒッヒ・・」と驚かす。ご察しの通りこのポルキュアスは第二幕で変装したメフィストだ。

ビビりまくるヘレネと侍女たち。ポルキュアスは「助かる方法はただ一つ。北方の蛮族に助けを求めることです」とゲルマン人の城へ道案内を買って出る。

この城の城主こそがファウストという算段だ。なかなか小賢しい手をつかう。

思惑通りヘレナは騎士道精神を持った(ふりをしている)ファウストと恋に落ち、エウポリオーンという名の子供をもうける。

三人は美しい自然の中で幸福に暮らしている・・・と思ったら、エウポリオーンは親の言葉を聞かない問題児に育ってしまった。 戦争に興味を持ったり女の子を追いかけ回したりしている。父親の悪い血をひいたのだろう。

また、どういう訳か大地を離れ、より高いところに行きたがるという奇妙な性質を持っている。ゲーテによるとエウポリオーンの寓意は詩を表しているらしい。美や高邁なものへのあこがれの象徴なのだろう。

「ダメよ。エウポリオーンちゃん!そんな高いところに行かないで!」と心配する母親をよそに、どんどん高い岩をよじ登り、空を飛べるとでも思ったのか、いきなりジャンプ!そして死亡・・・。(本来のギリシャ神話のエウポリオーンには翼があるが、彼には無い)

茫然自失のヘレネだが、冥界から聞こえるエウポリオーンの呼び声にこたえ、彼女も冥界に去っていく。当然ファウストは意気消沈・・。

ファウストに最高の時を味合わせようというメフィストの目論見は、またしても失敗する。

第四幕 懲りないファウスト「次は権力を求めるぞ!」

傷心のファウストとメフィストは古代ギリシャからドイツの山にタイムトリップする。ここでファウストは気を取り直し自分の野望を語る。「オレは支配し所有したい!海を干拓して大事業をしたいのだ!」美女の次は実業家である。立ち直りが早い男だ。

ところがそこに軍楽隊の音が聞こえる。例の皇帝が享楽的な生活をおくったため国は二分し、反逆皇帝との戦争が始まろうとしていたのだ。

メフィストは皇帝を勝たせて恩を売ろうと、喧嘩屋、取込み屋、握り屋の三人の子分を皇帝軍に送り込む。

三人の働きもあり最初皇帝軍は善戦する。ところが劣勢にたたされると皇帝は戦争を投げ出し、ファウスト達に任せてしまった。

こうなればメフィストの独壇場だ。魔法を使い、水攻め火責めで反逆軍を敗退させる。

皇帝軍を勝利に導いたファウストは、ご褒美に何をもらったか?広大な海の土地を手に入れたのだ。

第五幕 悪魔との契約を忘れ、うっかり禁句を言ってしまう

時は過ぎ、ファウストは老人となっている。皇帝から賜った海は干拓が進み、今や広大な土地の支配者だ。メフィストの海賊業で相当な富を蓄えたこともうかがえる。

ところがファウストの気持ちは晴れない。土地の中にポツンと一軒家が見える。それが気に入らないのだ。

「オレはあそこから四方を見渡し、自分の作り出した広大な土地を一望したいのだ!」

どうやら年を取ってすっかり暴走老人になったらしい。

ファウストはメフィストに命じ、そこで暮らす老夫婦に立ち退きを迫る。

この老夫婦の名前はピレモンとバウキス。ギリシャ神話の登場人物だ。(詳細はオウィディウスの「変身物語」を参照いただきたい。)だがオリジナル作品がハッピーエンドなのに対し、ファウスト版は後味の悪いバッドエンドで終わる。メフィストは立ち退きに応じない夫婦を殺し、小屋に火をつけてしまう。

自分の命令が招いた結果に恐れおののくファウスト。そこに四人の女が訪れる。欠乏、罪過、憂い、困窮だ。富豪となったファウストの家に欠乏、罪過、困窮の三人は入ることができなかったが、「憂い」だけは鍵穴から忍び込む。

「憂い」は言う。「誰でも私につかまると全世界は無益なものになります。心の中は闇が巣くい、どんな宝も自分のものにすることができません」

どんなに権勢を誇ったところで人は満足することを知らず、憂いからは逃れることができないということか?「憂い」がファウストに息を吹きかけると彼は視力を失う

盲目になってもファウストの野心は止まることを知らない。メフィストと死霊たちが工事を進め、長年にわたる干拓事業も完成が近づいている。ところが実際に進んでいる工事は干拓ではなく、ファウストの墓場堀りだったのだ。

そうとも知らずファウストは理想の世界が達成されようというその瞬間に向かい、こう呼びかける「時よ止まれ、お前はいかにも美しい!」

これは第一部で契約を交わしたあの禁句だ。あまりにも時が経ちすぎ、ファウストも忘れていたのだろうか?

契約の通り、ファウストは息絶える。これでファウストの魂はメフィストのものだ。

ところがそこに天使が現れファウストの魂を奪ってしまう。長年にわたりファウストの魂を狙っていたメフィストは、天使に横取りをされ地団駄を踏んで悔しがる。

天使にさらわれたファウストの魂は、天国のマルガレーテ(グレートヒェン)によって聖母マリアに紹介される。

自らの欲望に従い自由に生きたファウストだが、悪魔に魂を渡すことなく、聖母マリアに救済されハッピーエンドで終わる。

感想 ゲーテの隠れたメッセージを読み解く面白さ

「男性原理」と「女性原理」の軸で読み解く

「ファウスト」はストーリーだけを見れば荒唐無稽な話かもしれない。ただし物語はいくつかの対立軸で進行しており、この軸を丁寧に読み解くことでゲーテのメッセージが浮かんでくる。(と私は思っている)

例えば「男性原理」と「女性原理」という軸だ。

ファウストの行動は「もっと世界を見たい、味わい尽くしたい」という強い欲望に突き動かされている。具体的にはマルガレーテには「愛」を、ヘレネには「美」を、干拓事業では「力」を求める話に結実していく。強い欲望は子供のエウポリオーンにも引き継がれているようだ。彼は戦争に心惹かれ、若い女を手籠めにしようとし、岩の高みに昇って飛翔しようとする。こした欲望に従い至高のものを求めようとする上昇志向を「男性原理」と名付けよう。

一方、この男性原理は常に失敗する。ファウストはマルガレーテを失い、ヘレネを失い、干拓事業は自分の墓堀りに変わってしまう。エウポリオーンは岩の高みから地上に落ち命を落とすことになる。

ところがファウストの魂は聖母マリアとマルガレーテに救済される。エウポリオーンも冥界から「お母さん。僕を暗い国で一人ぼっちにしないで・・」と呼びかけ、ヘレネはそれに応えて息子のもとへ去っていく。こういった救済を「女性原理」と呼ぶことにしょう。

また「母の国」に向かう場面で、ファウストは「母」の名を聞いて、「なんだか聞きたくない言葉だ・・」と戦慄している。強い欲望に駆られて行動しようとする不肖の息子にとって「母」の名は気持ちを萎縮させる足枷のような存在だ。ここから持ち出された鼎によってパリスとヘレネの幻影が生み出されるのだが、これは「母の国」を世界が生まれる根源的な子宮と見立てているからだろう。ここでも男性原理と女性原理の対比がみられる。

「ファウスト」の物語自体も神と悪魔という「男性」たちの戯言に始まり、マリアとマグダレーナという「女性」たちによる救済で幕を閉じるという対比構造を持つ。

以上のように欲望する「男性原理」は高みを目指し、根源的な「女性原理」からより遠くへと飛翔を試みる。ところがこの試みは常に失敗し、結局は「女性原理」によって救われることになる。ゲーテは女性原理の勝利を称えているようだ。

もちろん現代はジェンダーフリーの時代ゆえ、ここでいう「男性」「女性」は単なる名前にすぎない。女性の中にも「男性原理」が存在し、逆もまた然りだ。決して古臭い男女の役割を意図しているわけではないということを、念のため付言しておく。

原理主な表象
男性原理・神と悪魔の会話(ファウストの行動の原因)
・ファウスト(欲望に突き動かされ行動)
・エウポリオーン(高みに昇り、飛翔を試みる)
・ホムンクルス(肉体を求める)
女性原理・聖母マリア、マルガレーテ(ファウストを救済)
・ヘレネ(エウポリオーンを生み、その死に寄り添う)
・ガラテア(ホムンクルスとぶつかり海に沈め、生成させる)
・母の国(世界を生み出す源)

「火成論」と「水成論」の軸で読み解く

もう一つの対立軸は「古代ワルプルギスの夜」の中で展開される「火成論」と「水成論」だ。この言葉は当時、地質学の世界で議論となっていたものだが、ゲーテは社会を動かそうとする原動力のメタファーとして使っている。

アナクサゴラスは世界の発生を「火成論」に求めている。その証拠としてこの場面の直前に起こった地震を挙げているが、地震の描写を時系列で見てみよう。

  1. セイスモスが起こした地震により地表が隆起し、瞬く間に景色が変わってしまう
  2. 地震が起こると、河にいたセイレーンたちは海に逃げ「海の祭」に行ってしまう
  3. 地震で裂けた地表には黄金が現れ、蟻やこびとたちが運ぼうとする
  4. 総司令官が蟻とこびとたちに命じ、黄金を基に作った武器で青鷺を虐殺する
  5. イビュコスの鶴は蟻、こびとたちに復讐するよう、仲間の鶴(水鳥)に命令する
  6. 鶴たちは蟻、こびとたちに復讐を果たす

この描写は何を表しているのか?

地震により一瞬にして景色が変わってしまったわけだが、ゲーテの時代で社会の景色が変わるほど大きな出来事と言えば「フランス革命」であろう。地震を革命と見立てれば、青鷺の虐殺はジャコバン派による王侯貴族の虐殺を想起させるし、イビュコスの鶴たちが同族の鶴たちに命じて復讐するのは、後の復古王政と考えれば合点がいく。

こう考えるとアナクサゴラスの火成論は一瞬にして世界に変化をもたらす「革命」のメタファーと言えよう。確かにゲーテはフランス革命に否定的な見解を持っていた。

一方、水成論を説くタレスは「自然やその生成は時間にはしばられない」と反論する。自然は規則正しくゆっくりと生成するものであって、決して力ずくでなされるものではないと説く。

その後アナクサゴラスは、月が地上に落ちて、こびとも鶴たちも敵味方なく押しつぶしてしまうという幻覚を見て、地面にひれ伏してしまう。一方タレスはホムンクルスを連れて「陽気な海の祭」に向かう。「火成論」に対する「水成論」の勝利を暗示しているようだ。

ところがホムンクルスはガラテアが乗る貝の車にぶつかり海の中に消えてしまう。このまま死んで消えてしまったのか、あるいは海の中に溶け込み生物の長い進化の歴史をたどって肉体を生成することになるのか、二つの解釈ができそうだ。あるいはホムンクルスは燃え上がって海に消えていき、最後は四大元素を称えた言葉で終わることから、単純な二元論ではなく、全ての調和のもとに世界が生成しているというメッセージかもしれない。

生成論提唱者主な表象何を表現している?
火成論アナクサゴラス・セイスモス(地震)
・蟻
・ピグマイオス(こびと)
・ダクテュロス(こびと)
・急激な社会の変化
・革命
水成論タレス・セイレーン
・青鷺
・イビュコスの鶴
・海の祭りの場面
・緩やかな社会の変化
・保守政治

停滞する今の日本に必要なのは「火成論」的な発想では?

ここからは、全く小説とは関係のない与太話だ。

ゲーテは「フランス革命」にみるような「火成論」的な社会の発展、つまり圧倒的な熱量とスピードによって歴史を一気に変えようとする運動を退けた。

確かに革命により多くの血が流れ社会は混乱した。我々はその後の人類の歴史も知っている。理想を求めた結果悲劇を生んだ運動は、中国の文化大革命やポルポト派の虐殺など例を挙げれば枚挙にいとまがない。

一方ゲーテは理想の社会の発展を「水成論」に求めている。すなわち社会の内部から、必然性をもって、段階的にゆっくりと生成してく社会だ。ゲーテがワイマール公国の宰相という公職にいたこともあり、こうした堅実な考えにたどり着いたのであろう。

翻って日本の社会はどのような形で発展をとげたか?

明治維新や戦後のアメリカによる統治は、火だるまになるほどの「火成論」的出来事であったと言えよう。いずれも外圧によってなされたものだ。ただそれ以外は総じて「水成論」的にゆっくりと変化してきたのではないか?人間は本質的に変化を嫌うが、日本人は特にこの傾向が顕著であると思う。

日本人は「社会は固くて変わらないものだ」と無意識に信じている。ソ連が崩壊したとき、私は学生だったが、この時は大変驚いた。今まで国境とは変わらないものだと思い込んでいたからだ。世界地図は一度買えば一生ものだと思っていたのだ。

あれから30年たったが、今も日本人は「社会は変わらない」と思い続けたいようだ。相も変わらず夫婦別姓も同性婚も認めたくない。経済成長は歩みを止め、他国との差は開くばかり。選挙をすれば毎回自民党が圧勝する。国民はまだこのカビ臭い政党が支配する社会を見続けたいのだろうか?我々が眠っている間、いつの間にか世界の景色は変わってしまったというのに。

ゲーテは肉体を得ようとするホムンクルスに対し、水成論を説くタレスを指南役とした。だがゲーテが今日の日本を見たら火成論のアナクサゴラスを紹介するかもしれない。きっとこう言って。

「私は通常は水成論をお勧めしているのですが、貴殿の国はもう手遅れですな。火正論的に一気におやりなさい。犠牲は出るでしょうが、後進国になるよりはマシでしょう。」